生産性のない時間 is プライスレス

アンチパターン - 『要は時と場合』ではあるが、その判定が難しいからアンチパターンとされているんだよ、という気持ちになった

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良いタイトルが思いつかなかったので、長文タイトルになってしまいました。錦です。

今回ここで取り扱う『アンチパターン』の定義についてですが、以下のサイトぐらいのゆるい感じの定義を想定しています。

アンチパターンとは

「こーゆーことをやりがちだけどさ。それをやると大体は失敗するよ」な内容がまとめられています。

本当に即席で思いついた内容を書き出しているだけなので、別に学術的な裏付けとか特にないということをあらかじめお断りしておきます。

結論

アンチパターンがアンチパターンである理由は、その判定が難しいからだと思います。

極論、アンチパターンを選んでもいいのです。 『要は時と場合』ですし、『大体は失敗するよ』を回避して適切な運用を行えるならば、それでいいのです。

ただ、それを判定して事故を起こさずに適切な運用をできるのは、多くの場合優秀な人だけです。 あとはまぁ運がいいとか、そういうのもありますが。

そういう人が『要は時と場合』というのは全然問題ないのですが、 私のような一般通過型の人間がそれを鵜呑みにして、 「要は時と場合なんだ!じゃあ多分今回は使っていいだろう!」とか思ってしまうと、大抵の場合地獄を見ます。(見ました)

あと語り

というわけで、『要は時と場合』を信じるな。それを言えるのは千年以上生きた魔法使いだけだ。という戯言を書いてみました。

これは完全に個人的なお気持ちですが、経験を積んで生き残ったすごい方々、 一般通過型の人間に安易に『要は時と場合』とか言わないであげてください…。

それを聞いて勘違いしてしまって地獄を見る子たちがいるんです。 せめて『要は時と場合』という言葉を使うときは、その責任を自分が取れる場合のみにしていただけるととてもありがたいです…。

えっ、『要は時と場合』は事実じゃないか?ですって?いやその通りなんだけれども、その通りなんだけれども!

いや本当、優秀じゃなくてごめんなさい!(吐血)