生産性のない時間 is プライスレス

言葉の世界は難しい。 - 懺悔

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今回、かなり抽象的なタイトルですが、言葉の限界にぶつかって時間を無駄にしてしまったので、その懺悔です。

何が起こったか

みんな大好きBacklogで私が担当になったタスクに、バグの『調査』という案件がありました。
ここで、諸先輩の方々だったりとお話したりして、『調査』という言葉の意味を私はこう解釈していました。

『調査』:バグの原因を特定し、先方に報告する -> バグの原因を確定させなければ修正作業の許可が下りない

こう解釈した私は、当然バグを出来る限り言語化しようと努力を尽くしました。ただ、どこまでやっても諸先輩方に納得してもらうことが出来ません。諸先輩方はいつもこんなことをしているのかと、皮肉でなく「すげぇなぁ」とか思ってました。

そうしてひたすら言語化に尽くすも、ただひたすらに工数を消費するばかり。埒が明かないと私は諸先輩と色々お話をしました。 そしてその会話を重ねる中、何回目かの時にようやく気付いたわけです。
もしかして、この『調査』ってこういう意味だったんじゃないかと…。

『調査』:バグの原因を特定し、修正し、顧客に確認してもらう。

実際にどうだったかは確認できてません。ただ、会話の流れから察するにそういうことだったんじゃないかと理解してしまいます。

次の瞬間、自身の言語力の無さに直面した私はメンタルが崩壊し、プチ引きこもりシナリオを引き起こしたのだった…。

言葉のコンテクストを共有するのを怠らないようにしよう

はい、まぁそういうわけで今回の私が得るべき教訓は、「コミュニケーションを疎かにしてはいけない」ということだと思います。

言葉の裏にはいつだって『文脈』というものが存在してます。その共有を疎かにしてしまうと、無駄に時間を消費することになってしまいます。
このあたりの問題を憂慮してか、アジャイル開発には個々人の認識を合わせるための時間を取る、ということが最近読んだ本に書かれていた気がします。
参考例だとこの会議に一時間ぐらいの時間を割いていて、「そんなに必要か」とか思っていたのですが、たかが全員の一時間がなくなる程度でこの認識齟齬がなくなるのだったら、全然差し引きゼロにはなるとおもいますし、むしろ心理的安全性が上がってその後の生産性は上がるかもしれません。

あとがたり

今回は私のミスですが、チームとしてもこういう問題を取り除くための施策の実施は大事なんだろうなぁと、そんなことを思ったりしました。 この懺悔がいつかの誰か、具体的に言うと未来の私の糧になっていればいいなと思います。

ああ、錦になりたい…()