生産性のない時間 is プライスレス

性善説は厳しいし性悪説は優しい(というマインド)

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性善説も性悪説も順序の問題であって、人間の善性も悪性も否定していない。つまり結局は善悪併せ持っているのが人間だということになる。

どっかの作品から言葉を借りるなら「愛しながら憎むか、憎みながら愛すか」という話。

そういう前提があるとした上で、現実問題を考えた時、性善説は人間の善性を当たり前のこととしているので、悪意を持った時にそれはもう被害は甚大になるしボッコボコに叩かれることになるが、性悪説はふと悪意を持ったとしても被害を抑えて「人間だもの」と許してくれるものなのかもしれない。そしてついでに言うなら善性を発揮するとそれはそれは褒められます。

まぁ先ほどの話は割と恣意的ですがそれはそれ。そんなこんなで、セキュリティなどをやっていると、「どうして人間を憎まなければいけないんだ」となってしまうことがあるかもしれませんが、発想を変えて「何かがあっても問題を大きくせず、相手を許してあげられる余裕を作っているのだ」と思うと、少しはやる気が出るのかもしれません。一歩進んだ変態になるとむしろ攻撃を待ち望むようになります()

とかそんなことを思ったという投稿です。 いや真面目な話、人を信じるって普通に疲れるんですよね…。信じてないほうが疲れないです。 以上、憎みたくないからこそ憎むのだという話でした。

ポエムを書いている自覚はあるが、まぁマインドって大事だからね!!!