生産性のない時間 is プライスレス

発信者の性格を考慮した情報発信方法の検討 - 戯言

公開日時:

どうもこんにちは。錦です。

新年になっていきなりですが、色々な方面にケンカを売りそうな内容の記事を思いついたので書いてみます。特にこれが正しいというわけではないので、話半分に見ていただけると幸いです。

目的

この記事の目的は、『人類(みんな)』や『社会』のために情報を広げたい!という時の方法について考えてみることです。

別にこれを書いたところで何が変わるわけでもないですが、明日の私とかが自分を直視するための役に立てればなと思います。

発信者種別

さて、当たり前ですが人間にはいろいろな性格の人がいます。 『大衆への情報拡散』の得意苦手を軸に置いた性格分類をしてみます。

大体こんな感じでしょうか。 細かく分類すればこれ以外にもたくさんあるし、本当は個別パターンを網羅できるのが理想なのですが、そんなことしだしたら大変な時間がかかるのでこれで妥協します。

というわけで早速ですが、これらをもとに各パターンに向いてそうな方法を考えてみましょう!

『広げる』ことを軸に置き、なおかつ『間違い』を許容できる人の場合

このタイプの場合は、普通にブログとかを書けばいいと思います。 一番真っ当なやり方ができる人ですね。

情報発信を行う際、特に技術方面に関しては、大概の場合において『一次情報』が常に正しいです。具体的に言うと、RFC や論文などになると思います。

というわけで、一次情報をもとに、大衆向けの記事を書こうとすると大抵の場合において情報は劣化します。これはしょうがないです。

こういう場合において、あとからコメント欄などで飛び込んでくる指摘に対して柔軟に対応できることがこのタイプの人に求められることでしょうか。「私より詳しいのですね!ぜひご自分で記事を書いてみてください!」とか「ご指摘ありがとうございます!直しますね!」とか言えるタイプだと完璧でしょう。

こちらのタイプの人は、既存の記事に対する指摘なども、相手のメンタルをおらないように優しい語調で「こうだと思います!」とかいえる人だと思うので、傍から見てて安心できます。

『広げる』ことを軸に置き、なおかつ『間違い』を許容できない人の場合

こちらは、上記のタイプを少し潔癖によせた感じでしょうか。 基本的にはこちらのタイプの人も、普通にブログとかを書けばいいと思います。

間違いを許容できないので、気を抜くとコメント欄などで強い語調になるかもしれませんが、「人間はどれだけ正しくても、心理的障壁が存在すれば正しさを受け入れない」ということがわかるタイプの人だと思うので、全然大丈夫だと思います。

なんなら、発信者としては『自身の発信情報の正しさを一次情報と照らし合わせて確認する』という行為ができる人だと思うので、とてもよいと思います。なんというか、少し厳しい雰囲気がするけれど、それは愛情の裏返しだということが傍からみててわかりやすいタイプだと思うので、いい人だと思いますね。

『正しい』ことに軸を置き、なおかつ『正しくない』ことを許容できる人の場合

このタイプの人はどうなのでしょう。ちょっと分からないですね…。(えぇ)

『正しい情報を発信する』ことに価値を感じるタイプですが、『世の中には正しくない情報が溢れている』ということを許容できる人なのだと思うので、なんというか、企業ブログとか特定の団体からの発信を書く人とかに向いているような気がします。「俺の力で世の中を良くするんだ!」という感じですね。

このタイプの人がコメントなどを書くときは、相手の人格否定をするつもりは毛頭ないのだけれど、語彙が強いせいで勘違いされてしまうということが起こるかもしれません。まぁこの場合は相手の発信者側のメンタルの強さなども大いに影響するのでこの人のせいではないと思います。

まぁ社会と折り合いをつけて、正しい情報が発信できる人だと思います。多分。(雑だなぁ

『正しい』ことに軸を置き、なおかつ『正しくない』ことを許容できない人の場合

このタイプの人は、なんというか大変そうだなぁと思います。

情報の正しさという観点では、多分この人がトップクラスだと思うので、信用度は高いのだと思います。 ただ、『広める』という観点に立った場合、本人の性格の厳しさの問題で周りに受け入れられにくいということが起きるかもです。

特に日頃からコメント欄や SNS などで、『ここ正しくない』といってしまうタイプだと要注意かもしれません。 いや、正しくないというまでならいいのですが。そのあとに『分かってない人』みたいな感じのレッテルを張って、個人攻撃につながりかねない言動をしてしまうタイプだと、周りから見て「怖い人がいる」と思われてしまって、この人の発信する情報がどれほど正しくても、心理的な問題で受け入れられない可能性があるかもです。

あれです。正しさを布教するのはいいけど、正しさで殴るのは良くないよねという感じでしょうか。

このタイプの人は、矢面に立つと受け入れてもらえない可能性があるので、フロントに「〇〇協会」とかをおいて、情報発信自体はほかの人に任せて、情報をまとめることに専念すれば良いと思います。ただこの場合「自分の知識を劣化させずにフロントの人たちに伝えさせる」という行為が発生するので、そういう人間折衝が苦手だとちょっと大変かなと思います。

勘違いさせたくはないのですが、このタイプの人が発信する情報そのものは確度が高いものだと思うので、『広める』という部分での障壁が多いなぁという感じです。

ちなみに『この人の情報は正しいんだろうけど、この人自身が怖くてこの業界に触れるの怖いなぁ』と思われるこのタイプの人の最終手段として、『あらゆる情報を正しくまとめ上げた後、死ぬ』というのを思いつきました。歴史上の偉人になってしまえというやつですね。さすがにこれを求めるのは酷なので思いついただけです。

情報を広めるのは大変

さて、ここまで色々てきとうなことを書いてきましたが、なんにせよ情報を広めることは大変な作業なのです。 例えば、今回はこういう風な分け方をしましたが、簡単に言ってしまえば、「人間の性格って色々反比例するよね」という話です。

再度になりますが、先ほど挙げた性格リストを見てみましょう。

これはつまるところ、上のタイプの人ほど『情報の確度は低く、拡散率は高い』で、逆に下のタイプの人ほど『情報の確度は高く、拡散率は低い』ということです。まぁこの分類自体は割と恣意的なので、とくに正しいわけではないのですが、私の観測範囲ではそんな感じなのかなと思います。

ちなみに、一番いいのは『情報の確度が高く、拡散率も高い』人が情報発信をすることですが、そんなのはいわゆる完璧超人というやつで、それを求めるのは傲慢ってやつです。だからまぁ現実に情報を広めたいとなった時には、これらの人をレイヤー分けして上手く仕事を分けるしかないのだと思います。

例えば、『正しい』情報を受けて、『広める』ために翻訳した記事を書く。より正しい情報へ至るためには『正しい』一次情報に近いほうへ読み手が自ら進んでいく、という感じです。書き手も読み手もお互いに歩み寄るしかないのじゃないでしょうか。

あとがたり

情報を広げたいときは大なり小なり生贄になる覚悟がいるんだろうなぁと思います。特に現代のインターネットはモロに『フリーライド(タダノリ)』の世界なので。例えば OSS(オープンソースソフトウェア)。これは『発展』のために『フリーライド』されることを良しとしたものな気がします。情報が内に閉じていたら、発展は難しいものになってしまいますから。等価交換の原則と言われればそうなのかなという感じですが、世の中は複雑だなとしみじみ思う今日この頃でした。

それではみなさん、つらい現実にも負けず今年もまた頑張っていきましょう!