2024年の抱負的な何か - 普通を人に求めるという傲慢
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- 普通というのは、人生の中で身に着けた偏見のことである。
- 普通というのは、特定の社会的集団において、その集団の中での多数派の行動や考え方のことを指す。
自分の中の普通を、他人に求めるというのは、傲慢である。 たまたま自分が多数派だっただけなのに、普通じゃない少数派を糾弾するのは、傲慢である。
だから、人に対して普通を求めるのはやめよう、というつもりはない。
だけれどせめて普通というやつがあやふやなものであり、 それを強要するのは傲慢であるということを自覚したうえで、他人に普通を求めよう。
正しさが通じないことに憤るのはいい。 けれどせめてその正しさの傲慢さは理解したうえで、憤ろう。
新年あけましておめでとうございます
はい、とういうわけで、新年あけましておめでとうございます。
今年の抱負はまあそんな感じで、自覚したうえで間違いを選択しようといったところでしょうか。
特に『普通』という言葉、よく使う言葉ですが、まぁひどくあやふやな言葉です。 「普通にやって」とか「普通に考えて」とか「普通に言って」とか、 ほぼ何も言ってないに等しいというか、『俺の考えた最強の普通』を押し付けてるだけです。
というわけで具体的に、どのようなアクションをとるかというと、大体以下のような感じかな。
- 普通などというあいまいな尺度を使わない
- 普通を求めるのなら『普通の状態』を明確に定義する
- ただこれも、できれば普通という言葉ではなく『ガイドライン』などの方がいいかもしれない
- それでも『普通』という言葉で雑に自分の偏見を押し付けるなら、それは傲慢であるということを自覚した上で行う。
- 仮に望んだ結果が得られなかったとしても、それは自分の傲慢さが原因。
というわけで以上、新年一発目の怪文書でした。
今年も対戦よろしくお願いします。